映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

私の映画遍歴

多様な映画を楽しんだ1990年代

<私の映画遍歴17 1990年代の頃> 90年代にはいってバブルは終焉し、あのバカ騒ぎは沈静化した。そんな時観た北野武監督「あの夏、いちばん静かな海。」に感動した。 タイトル名の最後に「。」をいれた新鮮な驚き。 少ないセリフの語り口、キタノブルー…

ビデオ全盛の1980年代

<私の映画遍歴16 1980年代の頃>大好きなジョン・フォード監督「駅馬車」をNHKTVで放映するというので、まだ一般には普及していなかったビデオ録画機器を購入してから程なく、ビデオレコーダーは80年代になると家庭に一気に普及。 レンタルビデオ…

「スター・ウォーズ」公開の1970年代

<私の映画遍歴15 1970年代の頃>1971年に結婚。 中学生の頃から、映画館は一人観に行くことのほうが多かったが、結婚してから二人で観ることもふえた。 「ライアンの娘」、「小さな巨人」、「明日に向って撃て!」などの題名を聞くと、ふたりで観た新婚時…

1969年 緋牡丹お竜に首ったけ

<私の映画遍歴14 20代の若き頃>1969年(昭和44年)は、「メン・イン・ブラック3」で描かれたタイムスリップした年、アポロ11号が人類初の月面着陸に世界中がテレビの前で固唾をのんで見守った年。 音楽番組では、由紀さおりの「夜明けのスキャッ…

1968年 「2001年宇宙の旅」に驚愕

<私の映画遍歴13 サラリーマン1年生時代>私が大学4年の1967年(昭和42年)、日本は高度経済成長期。就職活動では、高度成長を担う安定企業を目指す。 当時の就職活動は、まずは学校推薦、次に筆記試験、最後が面接だった。第一志望会社の最終面…

1965年、映画制作の頃

「ゴーストライター」を観て、ロマン・ポランスキー監督の15分の短編映画「タンスと二人の男」(1958年)を思い出した。 高校生時代に、atgアートシアターで観た。海の中(初期の監督代表作に「水の中のナイフ」がある)からタンスを抱えて歩いてくる二人の…

1964年、和田誠のアニメ「MURDER!」

世田谷文学館で開催中の展覧会「和田誠展 書物と映画」を観に行った。 楽しい。和田誠の魅力満載。 文学館での開催なので本の装丁デザインが中心だが、映画・演劇のポスター版下にも見るべきものが多かった。 原画だと、また一味違う味わいだ。素晴らしい。 …

「切腹」と「一命」

<私の映画遍歴10 大学生時代>1964年(昭和39年)、東京オリンピックの年。 はれて大学に入学したものの、とんでもないことが大学で起きた。 学費値上げ反対で全学ストに突入したのだ。 大学とは駅の反対側にある麻雀荘に入りびたりで、なんか麻雀ばかり…

1964年、人気の映画監督は?

<私の映画遍歴9 大学生時代>受験勉強と映画三昧を両立させた浪人生活が終わり、1964年4月、大学生活が始まった。 私自身が世間知らずなのか、大学には実に個性的な学生が数多くいることに正直驚いた。映画好きの仲間で、話題となるのは、外国映画では、 …

「コクリコ坂から」の時代、1963年

<私の映画遍歴8 受験時代>「コクリコ坂から」の時代、1963年(昭和38年)は、私の大学受験時代。その頃は映画ばかり観てのいたので、当然むくいか。3月、希望の大学受験に失敗した。 合格発表の当日、不合格を確認した帰り道に観たのが、黒澤明監督「天国…

作りたい映画だけを作る映像作家〜「裸の島」

<私の映画遍歴5 高校時代>私が高校1年のときに観た映画「チャップリンの独裁者」は、トーキーを最後まで拒んでいたチャップリンが初めて本格トーキーに挑戦して、最後の演説場面に生かしていた。 映画は当然”しゃべるもの”という常識に、セリフがない映…

1960年 「チャップリンの独裁者」に驚愕

<私の映画遍歴4 高校時代> ”笑って 笑って 笑い転げて そして・・・最後に感動の拍手を” (日本初公開時の宣伝文句)チャールズ・チャップリンが製作・脚本・監督と主演を務め、ヒトラーを風刺したアメリカ映画「チャップリンの独裁者」。1960年(昭和35…

「喜びも悲しみも幾歳月」に感動

<私の映画遍歴3 中学校時代>中学に入ってからも毎年100本以上の映画を、観ている。これまで父や兄に連れていってもらっていたのだが、ひとりでも映画館へ行くようにもなった。中学1年(昭和32年)のときに観て、こんな美しい映画があった、と感動したのが…

大友柳太朗や裕次郎がワイドスクリーンで大暴れ

<私の映画遍歴2 中学校時代>中学校に入学した昭和32年は、テレビ放送番組も充実した頃。アメリカのテレビ映画に熱中した。多くは30分物の一話完結連続ドラマで、冒険活劇からSF、ミステリーまで多彩なジャンルが魅力。 当時毎回観ていたのは、「スー…

1950年代 「鞍馬天狗」がなつかしい!

<私の映画遍歴1 小学校時代>私は終戦前年の昭和19年に東京・新宿で生まれ、小学校時代は荻窪に住んでいた。私が記憶している映画体験の始まりは、映画館ではない。小学校2年(昭和27年)の夏休みの夜に、学校の校庭で野外上映されたアラカン(嵐寛寿郎…

1962年 映画青春時代 <その2>

<私の映画遍歴7 高校時代>私の映画記録ノートをたぐってみれば、1962年のときに観た映画の本数は107本。日本映画は「椿三十郎」(黒沢明監督のお正月映画で元日に観ている)、「破戒」(市川崑監督)、「秋刀魚の味」(小津安二郎監督)など54本…

1962年 映画青春時代 <その1>

<私の映画遍歴6 高校時代>映画検定予想問題です。 Q1.1962年(昭和37年)キネマ旬報外国映画ベストテン第1位は、前年度に続いて2年連続ベスト1監督となったイングマル・ベルイマン監督の作品だった。その題名は何か?Q2.同じ1962年外…