映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

大友柳太朗や裕次郎がワイドスクリーンで大暴れ

<私の映画遍歴2 中学校時代>

中学校に入学した昭和32年は、テレビ放送番組も充実した頃。
アメリカのテレビ映画に熱中した。
多くは30分物の一話完結連続ドラマで、冒険活劇からSF、ミステリーまで多彩なジャンルが魅力。
当時毎回観ていたのは、「スーパーマン」「ロビンフッド」「地方検事」「ハイウエイ・パトロール」「空想科学劇場」そして「ヒチコック劇場」(私がヒッチ・ファンとなる原点)。
映画界はテレビに対抗して、トッドAO方式70ミリも登場。
その上映館として新宿コマ劇場が開館した。
こけらおとし映画「オクラホマ!」(フレッド・ジンネマン監督)を観にいって、その極端に歪曲した画面に驚く。
同時にミュージカル映画の魅力を発見。
以後「王様と私」「略奪された七人の花嫁」など見逃さずに観ている。

その年4月、邦画初のシネマスコープ作品「鳳城の花嫁」を中野東映劇場で観ている。
画面一杯に”東映スコープ”と横長のタイトルに胸が躍った。ひいきの大友柳太朗が主演していた。
  
私の映画記録ノートから 封切時の新聞広告→

この時は東映時代劇の黄金時代。
千恵蔵と右太衛門の二枚看板に、錦之助、橋蔵、ひばりと多彩なスターが活躍の時代。
大友柳太朗が記念すべき邦画初シネスコの主役に抜擢されたのは、ワイドスクリーンに耐える風貌と将来性ある大型スターだからに違いないと思っていた。

大ヒットで映画館に入場できずに、やむなく帰宅した経験をした映画が、「明治天皇と日露大戦争」。
役者(嵐寛寿郎)が明治天皇を演じるのは不謹慎と騒がれ、当時新東宝の映画館にはシネスコ上映設備がない劇場もあって、シネスコ版と普通版の両方で公開され史上最大のヒットとなった作品だ。

中学2年には、東映時代劇よりも
裕次郎小林旭の日活アクション物プログラムピクチュアーを観るほうが多くなる。
裕次郎の最初の出会いは「俺は待ってるぜ」。
白黒画面に登場した裕次郎
かっこよかったなー。くわえタバコで長い足を組んで海をぼーっと見ている
   ”霧が流れて、むせぶよな波止場・・”

一番のお気に入りは「紅の翼」。
映画はテンポよく、おもしろい。
私が最も好きだった裕次郎主題歌(佐藤勝作曲)が、
   ”空に心があるんなら、翼も夢を見るんだぜ・・”
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、熱狂して「嵐を呼ぶ男」を観ているシーンをが描いた時代が、私が中学2年だった昭和33年。
ワクワク・ドキドキして映画を楽しんだ時代。

この年こそ映画観客動員数が史上最高だった年で、この絶頂期を境に映画入場者数は減少し始める。
<続く>