受験勉強と映画三昧を両立させた浪人生活が終わり、1964年4月、大学生活が始まった。
私自身が世間知らずなのか、大学には実に個性的な学生が数多くいることに正直驚いた。
映画好きの仲間で、話題となるのは、
外国映画では、
ここ数年来の傾向である”ATG系ヨーロッパ映画監督”の時代だった。
フェリーニとかアントニオーニはもう古いという感じであったが、
ゴダールは、依然として学生人気ナンバー1だった。
この年では、
★アラン・レネ監督 「去年マリエンバートで」
★イングマル・ベルイマン監督 「沈黙」
★ジャン・リュック・ゴダール監督 「軽蔑」
この3本が、批評家ばかりか、学生にも受け入れられていた。
それぞれ作家の個性あふれた”難解さ”が一種の流行のようだった。
仲間の皆が、難解さをさらに難解にさせる論議をしていた。
映画をとおして、自分の不確かを確認しているかのように。
日本映画では、
評論家や新聞映画評とは異なって、極めて個性的な監督作品が話題になっていた。
★若干34歳の深作欣二監督 「狼と豚と人間」
★加藤泰監督 「真田風雲録」
★吉田喜重監督 「嵐を呼ぶ18人」と「日本脱出」
★蔵原惟繕監督 「黒い太陽」
★山内鉄也監督のデビュー作 「忍者狩り」
ここには、”反体制”、”一匹狼”、”アウトサイダー”、”挫折”、”脱出”・・というようなキーワードが呪文のごとく湧き出てくる。
新しい映画の発見を、熱く語っていた。
学生なんだなー。でも、今思い出すと、実に楽しかった!。
<続く>