映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

1950年代 「鞍馬天狗」がなつかしい!

<私の映画遍歴1 小学校時代>

私は終戦前年の昭和19年に東京・新宿で生まれ、小学校時代は荻窪に住んでいた。

私が記憶している映画体験の始まりは、映画館ではない。
小学校2年(昭和27年)の夏休みの夜に、学校の校庭で野外上映されたアラカン嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」であった。
杉作少年を助けに馬で走る鞍馬天狗、見ている皆が大拍手で声援していた、なんとも楽しい体験だった。

小学校3年のとき、映画好きの兄に連れていってもらって観た3D立体映画に驚く。
赤と青の紙メガネをかけて観たのが「メトロ・スコッピクス」という題名の立体映画宣伝用に作られたアメリカMGM製作の短編。
高いビルの上から椅子が画面に向って落ちてくるシーンで、映画館の中が悲鳴に変わり大騒ぎとなった。
まさに映画は見世物。

小学校3年頃から最も頻繁に行った映画館は、西荻シネマ。
邦画2本と洋画1本の3本立て二番館である。
たとえば、昭和29年6月26日(小学校4年)に観た時の3本立て作品は、
東映「笛吹童子第3部」、
大映山椒大夫」(溝口健二の名作)、
B級西部劇「コロラドの決闘
といった具合だ。
作品は週替わりで、まさに玉石混交。あらゆるジャンルの映画を観ることができた。
ここで毎週連続して見た東映連続時代劇。
「笛吹童子」(霧の小次郎役の大友柳太朗ファンだった)や「紅孔雀」など、夢と冒険にワクワクして夢中になった。

満員の封切映画館(荻窪文化劇場)で見たシリーズ第1作「ゴジラ」。
今でこそ有名になったテーマ音楽をいつまでも覚えていて、口ずさみながら、ゴジラの真似をしていた。
この時代から音楽の道を目指していれば、今頃は大作曲家になっていたかも?

日比谷の帝国劇場で見た映写機3台シネラマ方式
「これがシネラマだ」などを含めて、
映画というのは私にとってはアトラクション。
興奮そのものであった。

小学校6年には、年間100本以上映画を観ていた。
 *今井正監督の冤罪事件を描いた「真昼の暗黒」
 *クリスチャン・ジャック監督の「空と海の間に」
 *A.ラモリス監督の抒情詩「赤い風船」
この3本は、”いい映画を観た!という感激を得た。”と私の映画記録ノートに書いてある。

この頃、私のなかで映画は見世物的娯楽から感動を与えてくれる素晴らしいものへと変化の一歩を踏み出したような気がする。
                                          <続く>