私は1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に大学進学した。
当時の映画界は、アラン・レネ、ジャン・リュック・ゴダール、イングマル・ベルイマンといった”ATG系ヨーロッパ映画監督”の時代だった。
映画を万年筆のように自在に描く”作家主義”が世界の主流であっても、日本映画界は会社の企画を続ける”プログラムピクチュアー大量生産”時代のまま。
そんななかで、鈴木清順監督は”作家主義”を通しているように思えた。
個性ある気骨ある監督として注目し、リアルタイムで見続けていた。
「肉体の門」(1964年)
「刺青一代」、「春婦傳」(1965年)
「河内カルメン」、「東京流れ者」、「けんかえれじい」(1966年)等々。
特に「刺青一代」のラスト。高橋英樹の斬り込みシーンには驚いた。
殺陣を生かすカメラアングルや色彩感覚は、後に”清順美学”と呼ばれる。
大学生時代たくさんの感動をもらった鈴木清順監督。やすらかに。