映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

文楽「新版歌祭文」

人形浄瑠璃文楽の人形は基本的に、一体を3人で遣う。
首(かしら)と右手を担当する「主遣い(おもづかい)」、左手担当の「左手遣い」、足担当の「足遣い」だ。
これが三位一体で動く。
足遣い10年、左手遣い10年、主遣い10年の経験を経て初めて一人前と呼ばれる伝統芸能の世界だから、観ている者はこの人形の所作に感動しないわけがない。
「世界無形遺産」が納得の世界。

私はここ数年、この文楽にはまっているが、大夫(語り)や三味線(音楽)よりも、人形遣いに興味と関心がある。

今月、国立劇場で観たのは「新版歌祭文(しんばんうたざいもん)」。
お染・久松の恋物語だが、文楽(歌舞伎も)では、本当のヒロインは、久松の許婚だったお光。
お光が久松との婚礼を心待ちにする場面(上の写真)や久松に会いに来たお染をあの手この手で追い返そうとする場面、本物の大根を切る場面、自ら身を引き尼になる決意を示す場面などもうこの人形ぶりに感心することしきり。

ヒロインが諒解し譲ったあとに結果的には心中するという設定は「心中天網島」と同じで、日本近世独特の世界。
登場人物それぞれキャラが立っていて、物語は三角関係を描いて人間の本質を捉えている。

文楽の魅力はつきない。