映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

「ソロモンの偽証 後篇・裁判」

2部作の後篇。
生徒の転落死、殺人告発状、隠ぺい体質の学校、いじめ発覚、友人の事故死・・
転落死の足取りを追う生徒・藤野涼子は、生徒による校内裁判を開く。
涼子が検事、神原が弁護人となって白熱の裁判、いざ、開廷。

裁判である以上どうしても「有罪か無罪か」という興味となるのだが、犯人探しそのことよりも、関係する大人たちを丹念に描いていく。
生徒ばかりか、事件で傷ついた大人たち。
愛する子のためなら、何でもする大人たち。(”嘘つきは、大人のはじまり。”というキャッチコピー)
大人たちを巻き込んで、涼子と神原は、最後に大切なものを得る。

宮部みゆきの原作を読んでいなかったので、実はどのような結末になるのか大いに期待していた。
前篇は緊張感が最後まで途切れなかったので、後篇にも同じ展開を期待していた。
だが、私の期待が大きすぎたこともあり、後篇は正直失望した。
ということで、まだ観ぬ期待している読者のためにブログ記事も遅らせて書きました。

さて、この「ソロモンの偽証」という題名だが、私がソロモン(賢者)と思った人物は「偽証」していない。他にソロモンがいるのかが分からない。
むしろ、アガサ・クリスティ原作の法廷サスペンスの傑作「検察側の証人」(ビリー・ワイルダー監督で映画化、但し邦題は「情婦」)としたほうがピッタリのような気もした。