映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

「ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女」

アルフレッド・ヒッチコック監督が、彼に見出された女優ティッピー・ヘドレンを、映画「鳥」の主演女優に抜擢してから、次回作の「マーニー」まで撮影中の二人の関係を描く。
劇場未公開作で、WOWOWで鑑賞。

今年度のゴールデン・グローブ賞テレビ・ミニシリーズ部門で作品賞、ヒッチコック役のトビー・ジョーンズが男優賞、ヘドレン役のシエナ・ミラーが女優賞に各ノミネートされた。
ふたりの名演だけでなく、監督の妻アルマ役も、そっくりさん賞もの。

監督のヘドレンに対するセクハラ(パワハラもある)は周知のことだが、単なる暴露モノとしてではなく、監督と女優のドラマとして実に面白い。

映画「めまい」の眼のアップ・シーンで始まり、”鳥の視点”といわれた俯瞰ショットで監督を登場させ、そこに監督が好んで使った長い影が・・と、いきなりヒッチの世界。

偉大な監督の映画制作の過程や舞台裏も興味深い。
妻アルマとのアイディアについての会話、脚本家とのダメ出し、スタッフとのジョークなど監督の日常行動からその思考や演出意図が見えてくる。

「鳥」の有名な屋根裏の惨劇。
ドアを開けて入ると部屋の中にはすでに侵入していた鳥たちがいっせいに襲撃してくるというシーンの撮影がすごい。三角の狭い天井に周囲をネットで塞ぎ、ヘドレンに生きた鳥を容赦なく投げつける。
”「鳥」は特に次のシーンで何が起こるか、絶対に予想できないようにつくったつもりだ。”と監督が語っている(「ヒッチコック映画術トリュフォー」)とおりに、ヘドレンに対しても生きた鳥を使用することを事前に伝えずにその場でヘドレン自身の恐怖を捉えようとする演出。
何回も繰り返される恐怖。

「マーニー」撮影最後のシーン。
目立つ黄色いバッグとトランクを持ったヘドレンが駅を歩く。屋外シーンなのだがスタジオ撮影。
演技終了しても監督から”カット”の声がない。最後を惜しむかのようにじっと見つめる監督。やっと、小声で”カット”の声が。解放された喜びのヘドレン。ヘドレンは旅立ち、残されたのは監督。
二人の対比が余韻を残す。

執拗に迫る監督に対して、”生きている女を彫像にしたのよ!”と言い切ったヘドレンの姿勢は、その当時では珍しいほどの勇気ある女性だったのではないだろうか。
この映画の制作発表会見で、このようなセクハラがあれば裁判沙汰になることに触れて、ヘドレンが「もし同じことが今起きていたら、わたしはとてもお金持ちになっていたでしょうね」とジョークを口にしたそうだ。