映画は時代を映す鏡 

<ブログ18年目です>

「一枚のハガキ」

「私の存在は、94人の犠牲の上に成り立っている」
      <新藤兼人監督 98歳の舞台挨拶>

戦争が終わり100人いた兵士のうち6人が生き残った。
その生死を分けたのは、上官が彼らの赴任先を決めるために引いた“くじ”だった―という、監督自身の体験から生まれた映画。

尊敬している監督だけに、寂しい気がするが、監督自身が「映画人生最後の作品」と語っている。
映画作家として最後まで強いメッセージを発し、奮闘する姿勢に脱帽した。

まさに監督の”集大成”で、監督自身が最も思い出深いといわれる「愛妻物語」、「原爆の子」、「裸の島」の3作品が私にはダブって見えた。

若くして戦死した夫への悲しみ、夫婦の愛情は、早世した最初の妻への愛情を描いた自伝的映画「愛妻物語」と同じテーマ。
脚本を書いたが他の監督に任せきれず自ら監督デビューとなった作品。
啓太(豊川悦司)は”結婚は、しない”と言う。でも一緒に暮らす、というのは監督と乙羽信子との関係だ。

終戦を描く場面に、原爆投下のニュース映像がでてくる。
広島生まれの監督がどうしても映像化したかった禁断のテーマ”原爆”を、初めての自主映画制作した作品「原爆の子」。

桶を天秤棒で担いで川から水を運ぶのが友子(大竹しのぶ)の日課である。
その姿は、合宿・自炊して作った労作「裸の島」に登場する夫婦の姿。
”耕して天に到る”命の水。

94人の犠牲となった皆のぶんまで生きたきた監督。
映画で最後に無から立ち上がる二人の姿に、震災復興とダブって観るひとも多いことだろう。

「皆のぶんまで 生きていこう」
      <宣伝用キャッチコピー>